2010年3月30日火曜日

自然体

日曜日にグロービスの友人たちと三重県の菰野町ってとこに行ってきました。

目的はマザーハウスの山口さんの講演を聞きに行くため。


地元のボランティア団体が主催者のようで

町民のために開催される手作りでシンプルな講演会。ほわっとした感じ。


500名ほど入る公民館にだいたい200名くらい。

名古屋からわざわざ(と言うほど遠くないけど^^)出張ってきているのは、

私たちくらい?って感じでした。


第一部は地元中学のブラスバンド部の発表会!

新体制になってはじめてのお披露目ということで

若干緊張感ただよう雰囲気。

なんか講演よりブラスバンドのほうがぐっときたような気がしないでもない^^

それだけ日ごろ雑踏でココロが汚れているのか?^^;


さていよいよ山口さんの講演!なんですが・・・

ここの小休止の間に

200名いた観客が100名に激減。


地元のひとにとっては、山口さんより「我が孫」の晴れ舞台がメインで、講演は付録のようです。

なんかいい感じです。


講演の内容は下記するとして、感じたことは「自然体」

ぜんぜん気負ってないけど、やってきたことはハンパなくすごい。


ご自身でも仕事とかプライベートとか区別が100%ないし、

モチベートの質問もあったが、そもそも好きなことを24時間やってるので

自分をモチベートする必要ないって。

いい時間でした。


情報を提供してくれた小川さんに感謝です。

ご褒美は2ショット写真ですか!?


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講演内容 ダイジェスト(事実関係確認してませんのでご注意)
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会社のコンセプト「“途上国”から世界に通用するブランドを作る」

現在丸4年で日本スタッフ37名・現地委託工場120名・自社工場25名・ネパール4名に成長。


自分は小学校6年生までいじめられっ子で不登校だった。

いつもどうして自分の主張が伝わらないのか?聞いてもらうチャンスがないのか?と感じていた。

反動で中学校では非行に走り、相当悪かった。多くの人に迷惑かけっぱなしの3年間でした。

喧嘩に強くなりたいという不純な動機で柔道に出会い打ち込めるものができた。柔道がしたくて名門の工業高校に入学。鼻も骨折したし、靭帯も損傷した。

3年生最後の大会で関東2位になり、ジュニアオリンピンク選考大会でも7位になってやりきった感を感じすっぱりやめた。「もう自分はいじめられっ子ではないんだ」と思えた。

柔道をやめたら、無性に勉強がしなくなったが、それこそ大学の名前すらよく分からないような娘だったので必死に勉強して、慶応SFCに入学。4年間みんなについていくだけで必死だった。

4年生のとき日本には十分な教育が自分も含め受けられる環境が整っているので、それが整っていない海外の国が自分の活躍するフィールドだと思った。

それで途上国を援助する国際機関に行ってみた。フカフカの絨毯にキラキラのシャンデリア。予算戦略本部というところでしたが、ハーバードやケンブリッジなど本当に優秀な人の集団。

でも実際にそこから支援されたお金がどれだけリアルに現場に役立っているのかまったく見えなかった。どれだけ人々をHAPPYにしているのか。

素朴にボスに質問すると「自分たちは優秀だから頭脳を使ってお金を集めて配分するまででいい。現場や実務はNGOやボランティアに任せておけばいい」と言われて、まったく理解できなかった。

それでアジアで一番貧しい国は・・・ってインターネットで検索したら「バングラデッシュ」が出てきた。国際機関から日本に帰らずそのままバングラデッシュに飛んだ。

22才の4月。

空港に下りてみると圧倒的人の数。体験したことのない悪臭にびっくり。空気もよどんでいて本当に視界が悪い。

2週間じゃ「何にもこの国のことは解らない」と直感したのですが、ビザは2週間しかない。どうやったらこの国を理解できるだろうか?と考え、大学院生になれば2年間ビザが降りると思いついて、そのまま大学院に飛び込んで無理やり説得して合格した。

4月17日に大きなトランク2つだけでバングラデッシュに飛び込んだ。自分で現地を実際に見る意味が必ずあると思った。

生活は22才の女の子が住むこと自体無謀だったのですが、とにかく何をするにもワイロを要求され、払わなければ日本からの郵便もいっさい届かなくなってしまうような国。

本当にいくら払ったかわからず「いつもこのやろう!」って思っていた。

生活という面でもデモ・テロ・ストライキなどが頻繁にあって、そのたびにすべて市民生活がSTOPしてしまう。

さらに洪水を実際に目の辺りにして、1回の洪水で6,000人が流される。正直そのとき私一人では結局なにもできないのではないか・・・と思った。

1年たって日本に一度帰国。普通に就職活動して何社かの内定ももらった。もう普通の生活に戻ろう・・・と思ってバンブラデッシュに戻った。

でも、毎日スラムの横をとおって大学に通っていたので、本当に人が簡単に死んでいくのを毎日見ていて、小さなことでいいから何か一つできることがないかと考えていた。

そのときジュートにめぐり合った。ゴワゴワのジャガイモの袋。

これをバッグにしたら、バンブラデッシュが「世界に誇れるものになるんじゃないか」と思った。

ジュート工場では劣悪な環境下で小さな女の子達が働かされていた。

それを見て貧困の原因は確かに政治やこの国自体にも問題があるけど、経済の構造が固定化していること、先進国と途上国のビジネスの関係にも大きな問題があるのではないか!と感じた。

「この国からかわいくてかっこいいものをバングラデッシュという”タグ”に載せて先進国に届けたい!」と思った。

まず160個バッグを作った。

右も左もわからないのに日本に来て営業にまわった。
「君はなにものだ?!」
「バングラデッシュのタグをとったら売れるよ。」
「あなたみたいな娘がこの業界にいるべきではない!」
等々、散々好きなことを言われた。

それでもなんとかかんとか160個を完売した。

次は650個製造したが、さすがになかなか売れなかった。

その時気づいたのが、そもそも自分はバッグの知識がまったくないということ。日本の下町で6ヶ月間毎日6時間修行して知識・技術を身につけた。

なんとか650個も完売して、次の商品を作ろう!てやる気になっていたら、
従業員にパスポートを盗まれた。日本人のパスポートは100万円の超える価格で取引される。
生産も見直すために新しい工場と契約したが、契約後工場を見に行ったらもぬけの殻だった。バングラデッシュではこういう詐欺が頻繁に行われている。

もう本当にやる気を無くしてタイミングで、大規模テロが発生した。

今まで散々安い価格で商品を作らせていた世界中のバイヤーは「やっぱりバングラデッシュは政情が安定しないからだめだ!」と言ってとっとと去っていった。

それを見ていて「私は逃げない」ともう一度やる気になった。

気を取り直して3度目の工場と契約。そこは今もお付き合いをしている工場で商品ラインナップもカジュアル路線に変更して商品を製造した。

一つ目のタイミングは07年4月に日経のコラムに取り上げてもらったこと。

実は取り上げられたことをまったく知らなくてWebで1分間に1個商品が売れていってすごくビックリした。

おかげさまで卸の販路も13社にまで拡大したのですが、ふと感じたのが「お客様が見えなくなっている」ということ。

最初の思いとズレてきていることに気づき、卸を断っている直販しようと決めた。

でも本当にお金も何もなくて、テレビのCMで偶然見たビジネスコンテストに応募、無事300万円を獲得した。

審査委員全員から「300万円ではリアルSHOPは作れない!」と散々反対され、それでも「出来ます」って言っていたのですが、実際にはじめたら本当に大変だった。結果として今のSHOPのようにほとんど自分達の手作りでSHOPをつくってコストをおさえて250万円で一号店をOPENさせた。

実際にSHOPを持ってお客様に直接販売すると「本当の思い」を届けられるし、生の声が聞けるし、本当に感動したことを今でも覚えています。

次のタイミングは08年3月に情熱大陸に取り上がられたこと。

突然ディレクターから電話がかかってきて、実は私も視聴者としてすごく見ていた番組だったので、「本当に私でいいんですか?」なって言っていたのですが、一ヶ月間24時間カメラが張り付いて

「本当にもうやめて!」と言いたかったけど、これもバングラデッシュの現状を知ってもらうためと我慢しました。

で、番組が放映されたら、販売サイトが2日間アクセスでパンクしてしまった。

SHOPにも行列ができて、北海道や九州から「買いに来ました」というお客様もいました。

でも、ものづくりって急に言われても量は増やせないので、今まで通り一品一品大切につくっていって、結果4ヶ月も待っていただいたお客様も。

08年9月には、百貨店内に出店することができました。ヨーロッパのブランド・神戸のブランドのSHOPに並んで私たちのお店「バングラデッシュのお店」が出店できた。当然このお店も基本的に自分たちの手作り。

今は新たなチャレンジとして、ネパールのダッカ織を活用した商品ラインを開発・販売しています。

これも現地では機械織りの商品しかない状況でしたが、手織りの使われていない工場をわざわざ探してそこを復活させて、手織りの質感を大切にして生地を作ってもらっている。

色もすごく地味で面白くないパターンだったのをパステル色などをいれてアレンジしました。

最近では、いろんなメジャー企業ともコラボもさせてもらっている。

うれしかったのはHISさんとバングラディッシュツアーを企画して、バッグを買ったお客様に実際に自分たちの工場を見学してもらったこと。

今まで自分たちがつくった商品はダンボールに梱包したら終り。って感じで、いったいどこの国のどんな人に使われているのかまったく知らなかった従業員の目が輝いていて本当にうれしかった。

今後は本当に近い将来先進国、ヨーロッパやオーストラリアの都市に直営店を出店して、多くの先進国にマザーハウスの商品を届けていきたと計画しています。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

林です。ちょっと読むつもりが、最初から最後まで2回読んでしまいました。すごくいいですね。感動しました。

最近思うのですが、成功するビジネスパーソンには共通するものがあるなーと。根性とか執念とか、あきらめない心とか、近いけどそういうものではなくて、、

脱サラ農業の鈴木誠さん、
旭山動物園の例、
日本一の庭師、
今日経の私の履歴書のユニチャームの高原さん、

上手く表現できないのですが、清い心?大義名分のあるビジョン? 自分の思いがめげそうになった時に周りの人が賛同し、ささえられるような目標や夢を持った人、、、なんてことを思いました。

Unknown さんのコメント...

「清い心」この表現しっくりきます。
傍からみると、よく決断しましたね?とか、大変でしたね?って、終わったから今がだから言える感想なんですよね。

「強い思い」なって言葉でも表せない、心から湧き出る「確信」「必然」なんでしょう。最近すこし解るようになってきた^^;