今日
血涙〈下〉―新楊家将と言う本を読み終えた
北方謙三氏の本だが、
・三国志〈1の巻〉天狼の星
・水滸伝〈1〉 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44) (集英社文庫)
・楊家将〈上〉
という一連の北方中国小説を読むと、いつも体に熱いものが走るのを感じる
これらの中国文学の特徴として、私が感じているのは
ひとの死は、本当に突然自分に訪れる
そしてそれは、淡々としたものである
という描写である
水滸伝の登場人物がまさにそうなのだが、
いろんな立場のひとが、さまさまな死の迎え方をする
それらの中に周到に準備されていたものなど、実はほんの一握りで
多くは本当に静かに突然訪れる
ともすれば、本人が自覚できない場合のほうが、多い
書かれている時代と今とでは、比較のしようもないが
そんな明日をも知れない時代に、出てくる人物たちは
常に最善以上のパフォーマンスを発揮しているように書かれている
その中にこんな今の世の中を生きるヒントがあるな・・・
といつも読みながら感じている
本当にパフィーマンスが高い人というのは
実は自分の出している、表現しているパフォーマンスの
レベルについては意識していないのだろう
さらにはその時の最善などという意識もないのではないのか・・・
と最近思うようになってきた
心のままに体のままに
感じ思い行動することが、常に最大のパフォーマンスである
そんな風に考えていたら
イチロー氏の
「頑張れという意味が解らない。
自分はいつも最大限の準備をして
常にBESTを発揮しているのだから」
という発言を思い出した。確かに納得である
ビジネスでもそんなヒトに一歩ずつ近づいていきたい
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