12日に参加した「大ナゴヤ大学」の授業で感じたこと。
「プロフェッショナル⇔アマチュア」
という視点でしっくりきます。
『NPO主催イベントをテレビ局が撮る!?報道する』
今回の授業は来年2月の愛知県知事選の立候補予定者5名を招き
スポンサーの「アサヒビール」を片手に普段の固い政策論争とは違う
個人の”生い立ち”や”どうして知事選に出馬するのか”といった内面的な
部分を一般の参加者の発言も借りながら、コミュニケートしましょう!
って授業でした。
会場に入った第一印象は「メディア関係者の山・山・山」。
テレビ・新聞・ラジオ・・、5マスってあとなんでしたっけ?
会場後方でカメラマンなんか場所取りで殺気だっちゃって
この光景って、かなり笑えます。というか筋の悪いブラックジョーク。
「NPOが主催できる」ん・だ・か・ら、それこそ既存マスメディアさんが開催できない訳がない。
彼らはきっと「いろんなしがらみが・・・」と言うのでしょうが、それも身から出た錆、
確実に言えるのは「それを自分たちで実施しよ~う!」って努力はとうの昔に忘れてしまい
必至に取材場所の確保をしている。それも偉そうに・・・
『評論家 VS 一般感覚』
今回の司会進行は大ナゴヤ大学のスタッフが進めていた。
一般的な政治・政策評論家とかモデレーターみたいな方はなし。
言い換えると、なんの仕込みもなく一般参加者150名のポテンシャルが
「場の雰囲気」というか「結果」を大きく左右する授業でした。
15テーブルに別れ「これからの愛知を一言で!政策提案!」みたいな
グループワークを行い、各テーブルの代表者が発表する時間がありましたが、
なんとなく旧来的な思考の方が言いそうなことは
「そんな一般生活者に急にふっても、いいアイディアなんかでないよ・・・」
って感じだと思うわけです。
しかし、みごとに期待をうらぎり日頃新聞紙上で「県民の声」みたいに
ステレオタイプで記載されている内容を発表するチームはひとつもありませんでした。
まして「減税”して!」なって目先のお金の提案はひとつもなく、
将来に向け
「人が輝く愛知」とか「教育立国愛知」とか「若者の目がキラキラしている愛知」
みなさん俯瞰思考で提案をしていました。
私もありがたく発表させていただきまして、会場の雰囲に飲まれ
なぜか?「愛知県民のみなさん!愛しあってますか?!」ってマイクで質問したら
結構会場が盛り上がってうれしかったです。
そんな会場内でひときわ輝いていたのが「女子高校生2名」で参加した強者たち^^
最後の時間に自ら手を上げて
「皆さんが知事になったら、何が変わりますか?」て質問をぶつけ
「それを聞いて私は判断し投票します!」
「って私は投票権はありませんが!?」
ってオチまでつけて、会場を大いに盛り上げていました。
参加者の中からは「知事候補の5名より彼女のほうがよっぽど説得力がありそう!」
なって会話もちらほらと。
その中の一人が私の学友の娘さんと後から知って二度びっくり!
多分評論家と言われる人たちは、今や職業として評論することや面白おかしく人を
惹きつけることが主になってしまい、必要な何かを忘れてしまった人が多いように感じています。
そういう中途半端な権威をすっ飛ばして、ダイレクトで討論したほうがよっぽど良い結果を得られることを体感しました。
『いまや旧来型の権威は恐竜なみのダサさ加減』
どうも既得権をもっている人たちは、政治家も含め自ら進化することは難しいというか、
多くの点で諦めてしまっているように感じます。
ということは、今の市場は「ビックチャンスの嵐!」ってこと。
ということで、みなさん自分の得意分野で世の中を「あ!」って言わせましょうね^^¥
0 件のコメント:
コメントを投稿