2010年10月11日月曜日

「森を守る」という仕事

日曜日はmomoメンバーと一緒に最近私的にホットな加子母に行ってきました。


今回は「山守 やまもり」という江戸から明治にかけて

天領などの「森林の番人」を代々務めてきた内木家(うちき)の末裔の方から

200年前に建てられ、未だに個人の所有物として維持されている

いわば、個人宅に上がりこんでお話をお伺いすることができました。


写真はいろいろこんな感じ⇒http://picasaweb.google.co.jp/sin.yoshida/10_10_10TOUR#


実は今回は別の目的で加子母に行ったのですが

偶然、岐阜大学の社会科教師を目指す学生さんが

内木さんのお宅でお話を聞くアポを取っていて

内木さんの家は基本私邸なので、内木さんの手が開いているときしか

入れないし、話も聞けない!ってことで

実は加子母でも非常に「プレミア・スポット」


なので、図々しく便乗させていただきました。


「山守」仕事については

中日新聞が以前取り上げたこちらの記事が詳細かと。



今回の気づきとや分かったこと


・本来、日本の森林は明治時代までは、画一化した管理ではなく、

それぞれの山自身が持っている多様性を重視し、今では当たり前な「植樹」という

考え方ではなく、自然に生えてくる木々を「間引き」するという管理手法で十分に

管理されていた。


・しかし高度経済成長のためにドイツ式の「単一植樹」という山と共存するスタイルから

山・自然をねじ伏せる、人間に都合のよいよく方法に国策として大きく転換。

なので、花粉症みたいなことが起こっちゃうらしい。


・最近「トレーサビリティー」なんて言われているが、昔の林業が川に「丸太」を流す

スタイルではなく、山ですでに「柱レベルの建材」に加工した状態にし、

ひとつひとつに例えとしては現在の住所のように

・加子母 ・吉田山 ・檜 ・10年 ・2月 ・4日 みたいな感じで

履歴を刻印してから、出荷されていくのが当たり前で、何十年後でも

「この梁は○○の××産だ。」みたいに確認することができ、寺院の改築なんか

では、その履歴を追って同じ山から建材を確保するなんてことが普通に

行われていたそうな。

今の流通は、ハウスメーカーや流通業者に効率よくするために変化していったものだろう。


・今のような単一化された山の力を取り戻すためには、数年間のロスを覚悟で

まず大幅に伐採し、地面に日を当て、地面の力や微生物の活動を活性化することから

はじめないといけないので、恐ろしく時間がかかる。

たとえば、笑顔で「親子3代」とか。



何となく感じていたり、聞きかじっていたい知識=点が

こういう機会に線=歴史・物語になっていく有意義な時間でした。


自由なディスカッション時間があって私はひとつ「素朴に感じている質問」を


「都会で暮らすものとして、例えば月1回とか森林浴に加子母を訪れるときに

3時間とか4時間で何か山を守っていくお手伝いをすることは可能なんでしょうか?」


素朴な感覚として、頂いたものにはささやかでもお返しがしたいと思うもので、

かと言って「5年後に俺は林業をやるぞ!」とはならないわけで

いただいた分だけお返しすることができれば、気持ちのいい循環が維持できる

と思っての質問。


概ね内木さんの回答は

・そもそも、まだまだそういう受け入れ態勢が町・林業として整っていない。

・季節によってもまちまちだし。

・そんなことよりもっと視点を広げて、加子母の木製品を購入するとか

・もっとシンプルに来たときには加子母でご飯を食べて、なにか野菜を買ってかえるとか

・基本、そんなに裕福な町ではないし人口3,000人の小さな町なので

・そんな形で応援してもらえれば、回りまわって林業の維持・活性化につながります

という回答でした。


なるほど~な話です。


以前農家さんとも同じようなお話をしたときに

「そんなに気張らなくても、例えば草刈手伝ってくれるだけでもすご~く助かりますよ!」

と言われた感覚と一緒。


あんまり外部のひとに気合入れてこられても、対応するだけでも

「エネルギー使うは~」というのも本音のようです。


そんなこんなで深い一日でした。

お土産に買った「ケイちゃん焼き」パックみたいなのを、帰って自宅で食べました。

めちゃ美味しくて嫁にも講評でした。


岐阜の「ケイちゃん」焼き発祥の地は加子母なんです!ハイ^^

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